四宮義俊 / SHINOMIYA YOSHITOSHI

四宮義俊に関する情報をお知らせ致します。


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四宮義俊個展『顕現SOKKI』2017年9月18日「月」〜9月23日「土」

四宮義俊個展のお知らせ

2017年9月18日「月」〜9月23日「土」まで東京、京橋のアートスペース羅針盤で四宮義俊個展顕現SOKKI』を行います。お時間ございましたら是非お立ち寄りください。何卒宜しくお願い致します。

今展示では、2015年から継続的に発表している狩野芳崖『仁王捉鬼図』に端を発した日本絵画と現代の事象をハイブリットさせ可逆的に考察するSOKKIシリーズの新作3点を含む計5点の展示を行います。内1点は、同シリーズ初の立体作品となり木材を使用した全長3mを超えるスケールの作品を展示致します。またスケッチを主体とした小品も複数点展示致します。是非この機会にご高覧ください。また近くになりましたら作品等々紹介させていただきます。

 

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個展情報詳細

四宮義俊個展 『顕現SOKKI』

■会場:アートスペース羅針盤
■会期:2017年9月18日「月」〜9月23日「土」
■ 開廊時間:午前11:00 – 19:00(最終日のみ17:00まで)
■ 〒104-0031 東京都中央区京橋3-5-3 京栄ビル2F
■TEL & FAX : 03-3538-0160
■助成:公益財団法人吉野石膏美術振興財団

アートスペース羅針盤

■ 東京メトロ銀座線京橋駅から徒歩2分
■ 都営浅草線宝町駅から徒歩2分

 


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『かの死について』その2

せっかくのなのでもう少し、かの死について書いてみたいと思う。

要するに【非母観音】は日本美術においてある種の到達点ではあったが
その後の大きなブレイクスルーとしては、機能しなかったのに対し、
そのオリジナルにちかい、【サッフォーの死】というかモローは
様式亡き後の絵画として象徴主義や世紀末絵画を用意した。

【狩野芳崖】を西洋美術史の中に当てはめれば、印象派や象徴主義や
アールヌーヴォーの直前、まさに近代の目覚める前夜あたりに存在した
ような気がする。


何故かといえば狩野芳崖の作品は選択折衷表現の中にあるように思えるからだ。
日本にある旧来の技法を用い、西洋的な表現を加味する。
つまりは、ある時代のものとある様式をくっつけてみたら面白くない?
っといった感じである。そうした『いいとこ取り』の折衷表現といえる。

ヨーロッパにも良く似た傾向はあった。
西洋建築史の中で19世紀は新しい様式を生まなかったという指摘がある。
新古典主義以後、歴史主義やグリークリヴァイヴァル、ゴシックリヴァイヴァル、
ネオゴシック、ネオバロックなど、要はリヴァイヴァルや折衷表現に終始した。
もう新たなものが出なかったのかもしれない。その後のブレイクスルーとしての
産業革命を通し、アールヌーヴォーの登場を皮切りに爆発的にモダニズムへと
傾斜していく。

ただこのような流れをそのまま日本に当てはめることは出来ない。
日本の明治維新は産業革命にくらべ緩やかなものだったかどうかは
分からないけれど、それ以前に日本には無かった価値観が相当数流れ
込んだのに対し、ヨーロッパでは、自力で開発したといえる。
つまり考えてもいなかったものが突然現れたのに対し、必死で考えて
発明したといったちがいだろうか?

【非母観音】登場以後、亜流に沈んだ多くの表現はまさに日本流の過渡期
をよく表現しているとはいえないだろうか?

キリスト教的な価値観だけでは維持できなくなっていくヨーロッパとは対照的に、
『新たな神様』や日本絵画の統合のシンボルをヨーロッパの『衰退する神』に
見いだしたのは、皮肉なことのように思える。

以後の日本は多くの分野で西洋化が進んでいく中。上記した日本画においての
まさに『神様的』表現は確たる核を持たないまま、維持され、その象徴性だけが残り、
その時代時代に、富士山だったり、シルクロードだったり、岩絵の具だったりに依拠
を求めてきたのではないだろうか?

何か違うと誰もが首を捻るが、もともと持たない首を探さなければいけないような
幻想を抱き、探し続けるハメになる事をこの当時まだ誰も知る由もなかったのであった‥。

っていう感じで日本画問題へ集約してみました。
なんか乱暴なまとめになってしまいました。

四宮義俊公式サイト
http://shinomiya.main.jp