日比谷の三信ビルは2007年引退。御年78歳。
ゴジラは2004年に引退。御年50歳。(たぶん続編が制作されそうですが。)
一つの造形物としての寿命としては長いのだろうか?短いのだろうか?
銀座の歌舞伎座も建て替えが決定したようですし、たった40年前に保存運動
むなしく壊されたはずの三菱一号館は、壊した人達によって復元されてます。
レプリカやモダニズムだけでその街の歴史を継承していけるのでしょうか?
紀元前のギリシャの神殿が廃墟となっても尚、ルネッサンス期の建築家や、
19世紀の新古典主義に至るまで、建物の方向性にインスピレーションを
与え続けたことを思い浮かべれば、一つの作品や建造物が壊され、風化
するまでの間に、次の時代までの架け橋を架け終えることが出来たのか
どうかが大切ではないのかな、と思う。
そのための寿命としては、やや短かったように思える。
一つの作品が生まれて、その時代の流行り廃りを超えて、別な意味を
発揮し始めるまで待てるだけの辛抱強さが必要なようにも思える。
「そんなもの誰が確認するんだ?」と突っ込みが入りそうですが、
作り手としてはそう思ってしまう‥。
世紀を跨いでまで何かを残そうという気概がないのか、日本の地盤が
それを許さないのか。
(官庁集中計画のころから、霞ヶ関周辺の地盤の軟弱さは指摘されて
いたようです。)
原爆やそのコンプレックスの象徴たる大怪獣の襲来しなくても、日本人は自ら、
この街の輪郭が見えなくなるまで破壊(もしくは再生か?)することが出来るの
かもしれないな、と思う今日この頃。
丸の内の東京銀行協会がカサブタになり、三信ビルも保存運動むなしく、
取り壊され、この界隈において松井貴太郎の作品はなかなか無惨な扱い
を受けているようです。
ちなみに日比野の広場にあるゴジラは背中の雰囲気から察して、
ギドゴジだったような覚えがあります。
年齢的に一番身近なゴジラのデザインでもありますが、90年代初頭の
ゴジラは当時小学生だった自分にとって、環境問題などを相手に戦っ
てるシリアスな印象ですが、反面シャレの通じないまじめなゴジラと
いった感もあります。
代替わりしつつ再生し続ける一つの造形物を通して『技』
だけでも継承していけると良いのかもしれない。