歌舞伎座の再建案はいくつかの批判を受け、以前の形態をより強く継承したような完成予想図がサイトに出ていました。
ファザード保存(レプリカか?)の是非については、意見が分かれるところですが、ひとまず外側の枠だけは継承されるようです。
以前,知り合いから聞いた話ですが、歌舞伎座の対面には木挽町狩野派のお屋敷があったそうです。そのデザインを継承するような形で現歌舞伎座があるのでしょうか。明治期に建っていた二代前の歌舞伎座は疑洋風の建物だったので、狩野派のお屋敷が先に建っていたのかな‥。
現在の歌舞伎座は鉄骨鉄筋コンクリート造ですが、一代前の建物は木造でした。外観も今の歌舞伎座とよく似たものです。どの時代まで狩野派のお屋敷があったかは分かりませんが、一代前の歌舞伎座とは対をなすような対称的な風景があったのでしょうか?
実は再建案のパースにも描かれていませんが、歌舞伎座には大きな屋根がついていました。
現 在の建物を設計した岡田信一郎曰く、安土桃山風を加味した近代和風だそうですが、以前の建物に比べ、どの部分に岡田が創意をこらしたか、どのようなマッス を思い描いていたかは、旧琵琶湖ホテルなどを見てみると少し伝わってきます。どちらにも桃山風のスケール感といったものが感じられます。私はずいぶん岡田 信一郎の建物を見てきましたが、岡田氏の建物は建物の内側からこんもりと外側に盛り上がってくるような印象があり、どの建物も共通して全体的にふっくらと した立体感があるように思います。ちなみに旧琵琶湖ホテルには、歌舞伎座でいう大屋根にあたる部位は元々ありません。
歌舞伎座の大屋根は太平洋戦争時に消失してしまいましたが、その後の補修などで、現在の形になりました。太平洋戦争や関東大震災で屋根を落とした建物はたくさんあります。
歌舞伎座周辺でも東京駅(今まさに屋根を復元中)や法務省(94年に復元)その隣にあった大審院(屋根は復元されずその後解体)などたくさんありました。
民間の建物と官の建物という違いはありますが、建物のアイデンティティは駆体にやどるのか?屋根に宿るのか?と、ふと素朴な疑問を感じます。
関東大震災以後から終戦までのごく限られた時期に日本では、帝冠式と呼ばれる様式が生まれました。帝冠式の建物は西洋的な駆体に日本風の屋根を付けたものです。
国粋主義的な気運の高まりからの発想で、日本の建造物は屋根形状に強くアイデンティティが宿っていたと感じていたように思えます。
屋 根は直さなくても良い。現実的には、木造建築でないのだから別に入母屋造(風)であろうが、切妻造(風)であろうが、コンクリなので、安価な対応策はある でしょう。当時の人々は歌舞伎座の歌舞伎座たる様相を現在の左右にのっている入母屋破風だけで事足りていると感じていたのかもしれません。(金銭的な問題 が主か?)
‥いや別の視点もある、『ゲニウス・ロキ』なる言葉があります。日本語でいうと『地霊』になるそうです。その土地のもっている固有のアイデンティティというか、土地柄というか雰囲気のようなものですかね。
つ まりはある一時期あの場所では、狩野派のお屋敷が対をなして建っていたかもしれないし、その後に戦争も経験しました。結果、歌舞伎座は大屋根を失い、その 他の建物も同様に屋根を失ったり、全壊したりしました。大屋根を失ったという事自体が、不可逆性の歴史観を継承し、体現しているとはいえないだろうか?
そういった意味で大屋根を失った状態の歌舞伎座は存在意義を獲得している。
だから新しい歌舞伎座にも大屋根が無い方が正当性があるじゃん!
‥待てよ、そうなるとファザード保存に、『アウラ』が存在するのかと言ったことも考えておかないといけない。そもそも建物は新しくなっちゃうんだから‥。ただ建造物の『アウラ』を無条件に肯定すると、古さのみが礼賛されることになりそうだ。
『ゲニウス・ロキ』はレプリカの建造物も包含してくれそうだ。
何故かといえば建物自体ではなく、土地にアイデンティティを求めているからだ。だがそこに建つレプリカの建造物にはオリジナルの持っていた『アウラ』は宿らない。
その土地もしくは建物のアイデンティティを継承していく時にあの大屋根はいるのか?いらないのか?単に歌舞伎座の後方に建つ予定のビルとの食い合わせが悪いのか?
そういったことがなんとなく気になりました。
ちなみに設計の岡田信一郎は明治の末から東京芸大で教鞭をとっていたようですし、狩野派関係の人とのつながりも、あったのかもしれません。狩野芳崖や橋本雅邦は年代的に微妙ですが、もしくは木挽町のお屋敷を現地で実際に目にした事があったのかも知れませんね。
みんなの生きていた時代 『ウィキペ調べ』
岡田信一郎 1883—1932(1907年〜東京芸大学校講師)
橋本雅邦 1835—1908(1898年 東京芸大辞職)
狩野芳崖 1828—1888
『複製技術時代の芸術』1935
ベンヤミン 1892—1940
歌舞伎座
第1期 疑洋風 ? —1911
第2期 木造 1911—1921
第3期 鉄筋鉄骨コンクリ1925—2010
四宮義俊公式サイト
http://shinomiya.main.jp