四宮義俊 / SHINOMIYA YOSHITOSHI

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『かの死について』その2

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せっかくのなのでもう少し、かの死について書いてみたいと思う。

要するに【非母観音】は日本美術においてある種の到達点ではあったが
その後の大きなブレイクスルーとしては、機能しなかったのに対し、
そのオリジナルにちかい、【サッフォーの死】というかモローは
様式亡き後の絵画として象徴主義や世紀末絵画を用意した。

【狩野芳崖】を西洋美術史の中に当てはめれば、印象派や象徴主義や
アールヌーヴォーの直前、まさに近代の目覚める前夜あたりに存在した
ような気がする。


何故かといえば狩野芳崖の作品は選択折衷表現の中にあるように思えるからだ。
日本にある旧来の技法を用い、西洋的な表現を加味する。
つまりは、ある時代のものとある様式をくっつけてみたら面白くない?
っといった感じである。そうした『いいとこ取り』の折衷表現といえる。

ヨーロッパにも良く似た傾向はあった。
西洋建築史の中で19世紀は新しい様式を生まなかったという指摘がある。
新古典主義以後、歴史主義やグリークリヴァイヴァル、ゴシックリヴァイヴァル、
ネオゴシック、ネオバロックなど、要はリヴァイヴァルや折衷表現に終始した。
もう新たなものが出なかったのかもしれない。その後のブレイクスルーとしての
産業革命を通し、アールヌーヴォーの登場を皮切りに爆発的にモダニズムへと
傾斜していく。

ただこのような流れをそのまま日本に当てはめることは出来ない。
日本の明治維新は産業革命にくらべ緩やかなものだったかどうかは
分からないけれど、それ以前に日本には無かった価値観が相当数流れ
込んだのに対し、ヨーロッパでは、自力で開発したといえる。
つまり考えてもいなかったものが突然現れたのに対し、必死で考えて
発明したといったちがいだろうか?

【非母観音】登場以後、亜流に沈んだ多くの表現はまさに日本流の過渡期
をよく表現しているとはいえないだろうか?

キリスト教的な価値観だけでは維持できなくなっていくヨーロッパとは対照的に、
『新たな神様』や日本絵画の統合のシンボルをヨーロッパの『衰退する神』に
見いだしたのは、皮肉なことのように思える。

以後の日本は多くの分野で西洋化が進んでいく中。上記した日本画においての
まさに『神様的』表現は確たる核を持たないまま、維持され、その象徴性だけが残り、
その時代時代に、富士山だったり、シルクロードだったり、岩絵の具だったりに依拠
を求めてきたのではないだろうか?

何か違うと誰もが首を捻るが、もともと持たない首を探さなければいけないような
幻想を抱き、探し続けるハメになる事をこの当時まだ誰も知る由もなかったのであった‥。

っていう感じで日本画問題へ集約してみました。
なんか乱暴なまとめになってしまいました。

四宮義俊公式サイト
http://shinomiya.main.jp

 

 

 

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