四宮義俊 / SHINOMIYA YOSHITOSHI

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『いづれにしても存在はしません』その2

 

 

目の前におじいちゃんから受け継いだ古い斧があります。
柄は4回交換し、刃は3回交換した。どうみても新品同様です。

目の前の斧は『おじいちゃんの古い斧』としてのアイデンティティを持っているのか?

ファザード保存についても同じような問題がおこりそうです。


例えば、新築同然の4代目の歌舞伎座に時系列的な断面が生じないように。3代目の歌舞伎座の一部(瓦や懸魚(げぎょ)など)、が移植されたら。もうそれは『おじいちゃんの古い斧』と同様。なんら変わらない以前の歌舞伎座ってことでしょうか?

この問題はコンクリで出来た歌舞伎座だけでなく、木造建築にも例えられるように思えます。

例えば、世界最古の木造建造物の法隆寺が300年に一度、大規模修理を行い、そのたびに全ての木材を20%づつ入れ替えたとしたら?最短1500年で全て部材が入れ替わります。

ちなみに木材は100年で平均3mm風化するという話もあります。
1500 年で単純計算すると、4.5㎝です。4.5㎝が及ぼす、建築への影響を私は知りません。文化材保護法の中に書かれているかどうかは知りませんが、国宝や重 文の木造建築は木材の6割は以前から使われていたものを使用しなければならないというような話も読んだ覚えがあります。
いづれにしろ交換は必要になります。

その時に『おじいちゃんの古いの斧』と同じアイデンティティの問題にたたされるわけです。

では絵画はどうか。
先に例にあげた狩野芳崖作『非母観音』で考えてみます。
絹本は紙(和紙)に比べてみても耐久性がありません。絹の劣化とともに絵具の剥離や経年変化を起こします。その際に修復を行い、絹を補ったり、筆を入れていきます。そして年月を経ていくとオリジナルの部分が存在しなくなるといったことが考えられる。

ちなみにこちらも『ロックの靴下』というパラドックスと似てます。

私たちはオリジナルを欠損したそれらを見ても本物だと考えるでしょうか。
それらが本物だと思うのは文書や口伝に伝えられてきたからでしょうか。

それだけではこの問題は解決できないような気がします。

つづく

四宮義俊公式サイト
http://shinomiya.main.jp

 

 

 


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『かの死について』その2

せっかくのなのでもう少し、かの死について書いてみたいと思う。

要するに【非母観音】は日本美術においてある種の到達点ではあったが
その後の大きなブレイクスルーとしては、機能しなかったのに対し、
そのオリジナルにちかい、【サッフォーの死】というかモローは
様式亡き後の絵画として象徴主義や世紀末絵画を用意した。

【狩野芳崖】を西洋美術史の中に当てはめれば、印象派や象徴主義や
アールヌーヴォーの直前、まさに近代の目覚める前夜あたりに存在した
ような気がする。


何故かといえば狩野芳崖の作品は選択折衷表現の中にあるように思えるからだ。
日本にある旧来の技法を用い、西洋的な表現を加味する。
つまりは、ある時代のものとある様式をくっつけてみたら面白くない?
っといった感じである。そうした『いいとこ取り』の折衷表現といえる。

ヨーロッパにも良く似た傾向はあった。
西洋建築史の中で19世紀は新しい様式を生まなかったという指摘がある。
新古典主義以後、歴史主義やグリークリヴァイヴァル、ゴシックリヴァイヴァル、
ネオゴシック、ネオバロックなど、要はリヴァイヴァルや折衷表現に終始した。
もう新たなものが出なかったのかもしれない。その後のブレイクスルーとしての
産業革命を通し、アールヌーヴォーの登場を皮切りに爆発的にモダニズムへと
傾斜していく。

ただこのような流れをそのまま日本に当てはめることは出来ない。
日本の明治維新は産業革命にくらべ緩やかなものだったかどうかは
分からないけれど、それ以前に日本には無かった価値観が相当数流れ
込んだのに対し、ヨーロッパでは、自力で開発したといえる。
つまり考えてもいなかったものが突然現れたのに対し、必死で考えて
発明したといったちがいだろうか?

【非母観音】登場以後、亜流に沈んだ多くの表現はまさに日本流の過渡期
をよく表現しているとはいえないだろうか?

キリスト教的な価値観だけでは維持できなくなっていくヨーロッパとは対照的に、
『新たな神様』や日本絵画の統合のシンボルをヨーロッパの『衰退する神』に
見いだしたのは、皮肉なことのように思える。

以後の日本は多くの分野で西洋化が進んでいく中。上記した日本画においての
まさに『神様的』表現は確たる核を持たないまま、維持され、その象徴性だけが残り、
その時代時代に、富士山だったり、シルクロードだったり、岩絵の具だったりに依拠
を求めてきたのではないだろうか?

何か違うと誰もが首を捻るが、もともと持たない首を探さなければいけないような
幻想を抱き、探し続けるハメになる事をこの当時まだ誰も知る由もなかったのであった‥。

っていう感じで日本画問題へ集約してみました。
なんか乱暴なまとめになってしまいました。

四宮義俊公式サイト
http://shinomiya.main.jp

 

 

 


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かの死について

 

前から好きな絵描きとして狩野芳崖を上げるとときに付きまとう
気恥ずかしさは何なのかなあ?とよく思っていた。

率直に言ってしまえば、狩野芳崖氏のあまりにも直球勝負
すぎる表現から来るものだと思う。

木挽町狩野家の二神足と歌われる氏の表現はひとえの『根性』にある。

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若い頃の作品は描画に対するその必要な姿勢からしばしば不格好な印象さえ与える。
そして年を取れば取るほど『根性』に拍車がかかり、遺作の【悲母観音】
はいつの間にやら日本画の記念碑的な作品として扱われることが多い。

自身のピークを遺作にまで引っ張ることのできる作家がどれほどいるのだろうか?
その一点においてさえ氏の『根性』には頭が下がる。
そんなこんなで氏の悲母観音についてちょっと考えてみた。
構図や色彩においては、フェノロサの影が色濃く感じられる。

では狩野芳崖自身の感覚はどこに生きていたのだろうか?
そこで出てくるのが上記したモロー作【サッフォーの死】である。
狩野芳崖自身このモローなる画家の作品集なりなんなりをおそらく
フェノロサから見せてもらって、自身の持つ描写への必要な
『こだわり』の依拠を探り当てたかもしれない。
今まで見た事の無いものを見たときの素直な視線を
氏は文字通り素直に表現してみせた。

狩野芳崖は宗教家や思想家として仏画に取り組んだというよりも、
その当時まだ新しい概念としての『日本画』の確立を志していた。
宗教心よりも芸術への眼差しの方が強かったように感じられる。
というような指摘が佐藤道信先生の著書【〈日本美術〉誕生】
の中でもふれられていたような気がする。

ここで話をさらに興味本位から拡大してみようと思う。

間違いなく同じ時代に生きていた二人の画家が何を思い
この二枚の作品を描いたかを思ってみる。
サッフォーは紀元前6〜7世紀に実在した女性詩人。
画中では恋愛のもつれから崖から身を投げている真っ最中です。
投身自殺中です。

モローは産業革命以後の世界を生きています。
アカデミズムから距離をとったモローは作品の中で神話や宗教画の伝統を
個人の物語として置き換えた。その感覚はまさにニーチェよろしく
『神は死んだ』以後の世界を生きていく予定を物語っているようにも
見えます、、、たぶん。
モローはその後の世紀末美術にも大きく影響を与えたそうです。

そんなこんなでモロー作品には、19世紀のヨーロッパに流れている
厭世的なムードが漂っています。
そんな刹那的な表現を狩野芳崖氏は当時の日本に流れていたであろう、
明治維新、文明開花といった真逆の地点から【サッフォーの死】を
観たのかもしれません。
それくらい真逆の解釈をしているように私には見えます、、、いやむしろ
当時ヨーロッパの底辺に流れている退廃的なムードなんか
ちっとも分かってなんかいなかったと思う。

19世紀以後、天皇という(ある種の神様)君主制を敷き、
欧化政策をとり、文化とは?絵画とは?と勢いづく日本の中
で描かれた【非母観音】。
一方それに影響を与えた、同じく19世紀産業革命後の反サロン、
アカデミズムの退廃的な絵画【サッフォーの死】。

平易な言い方をすればサッフォーは落下する『神の死』
もしくは『神の失墜』が描かれているように見える。
それを見た極東の国の絵師は仏様の姿(注1)を借りてはいるが
非母観音は雲に乗り飛翔する『神の再臨』として描いているように見えてくる。
【観音下図】でも明確に描かれている背中の羽が両者の解読に決定的な
食い違いをもたらしているようには見えないでしょうか?

この食い違いは非母観音を見るたびに、技術的な到達点としての
【非母観音】と日本美術史の上での【非母観音】を理解する上で
私は何かややこしい綾を感じてしまいます。

日本絵画の諸派を日本画へと統合するといった理想を画面へと押し込めた、
修行の成果としての問題とは別にこの大いなる食い違いがその後日本画に
及ぼした影響はとても大きいように思える。

西洋人にとっても浮世絵や伊藤若冲の作品にオリエンタリズムを感じ
取ったのと同じようには【非母観音】を理解しなかったのではないでしょうか?
この何か釈然としない感じは日本画家と名のる私にとっても
何か入り口の地点でちょっと間違ってない?
といった感覚を抱かずにはいられない。

その作品が現れた後では全てのものが古いものになってしまうような
エポックメイキングな作品がある。
非母観音も当時多くの亜流を生み出したが、現在に渡りその新たな
チャレンジはそれ以前の全てを古くしたような感覚はない。
むしろ【非母観音】はそれ以前のフォーマットをよく踏襲している。
秀作のような傑作ではないだろうか?と思ってしまう。

いろいろ書いてみたけど、基本思いつきです。
本当のとろろ 【サッフォーの死】という作品を見つけたときに
感じたインスピレーションで書いてみました。
二枚の作品の因果関係を詳しく知っている方教えてください。

余談ですが、以前観た『長州ファイブ』という映画の中で,イギリスに密航した
伊藤博文と山尾 庸三が、現地の娼婦と耳の聞こえない労働者の女性にイギリスの
ような文明国になりたいと言った趣旨のことを述べると
「ここが文明国ですって‥」
と言って女性が悲観する場面がありましたが、そのチグハグな会話にも似てる
ような気がしました。ちなみに山尾 庸三は工部美術学校の創設者です。

みんなの生きていた時代

狩野 芳崖       1828—1888
ギュスターヴ・モロー 1826−1898
山尾 庸三       1837−1917
神仏分離例      1868
『ツァラトゥストラはかく語りき』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ1885

(注1)もちろん明治ですので、廃仏毀釈(1868—1870)
などがありますから、結構無茶を書いてますよ。本地垂迹説なんかもあるしね。